「介護なんて、まだ先の話」 そう思っていた50代の私に、突然その日はやってきました。 両親を見送った今、私の心に残っているのは、もっと早くに「人生会議」をしておけばよかったという、痛烈な後悔です。
特にお金の話。 これは、家族がバラバラにならず、最後まで「チーム」でいるために最も大切かつ必要な「作戦会議」だったのだと、今ならわかります。
1.お金の話:それは「奪い合い」ではなく「家族の時間を守る術」ともなる
父が亡くなった後、私はある事実を知らされました。 父は、私が母の面倒を見やすいようにと、父の亡き後、母と同居するための家を買う「頭金」を遺してくれていたのです。
でも、私はそれを知らずに、当時、別居のまま必死に父母の介護(=多重介護ですね)をしていました。 仕事、家事、そして遠方から車を走らせて父母の家に行く「別居介護」。ボロボロになりながら一人で抱え込んでいたあの時、もし父の想い=考えを知っていたら、私の介護生活も全く違うものになっていたかもしれません。。
きっと、そのお金を頭金にして、最初から父母と私の家族4人が、みんなで住める家を建て、食費も出し合いながら助け合って暮らす。そんな「豊かな選択」ができたはずでした。 お金の話をタブーにせず、未来の作戦として話し合うこと。それは親の愛を一番いい形で受け取るための準備でもあり、必要な事だったんですね。
2.住まいとケアの形:「どこで、誰と」の解像度を上げる
今は高齢化社会ゆえ、病院もなかなか入院させてくれません。出来る限り在宅で看取ってもらいたい、そう国は考えています。だから誰にとっても、父母の介護は他人ごとではない時代です。ある日突然、在宅介護が始まる事があります。私もそうでした。
そして いま振り返れば、大切なのは、その「家」で誰が、どんな風に支え合うかを具体的に描くことだったのかな、と思っています。
別居で通い続けるのか、同居して家族みんなでサポートするのか。 私の経験から言えるのは、一人で背負う「孤軍奮闘の介護」と、家族がチームになる「分担の介護」では、心の余裕が全く違うということでした。
3. 「独りで決める怖さ」をなくすための相談
父がお金を遺してくれたと知ったとき、実は私は感謝よりも先に「怖い」と思いました。 相談相手である父がいない中で、大きなお金に手をつける勇気が持てなかったのです。
私に必要だったのは、お金そのものではなく、「これを使って、みんなでどう幸せに暮らそうか?」という相談の時間だったのかもしれません。
間取りを一緒に見たり、手すりの位置を笑いながら決めたり。 そんな「一緒に決めるプロセス」があれば、私はもっと自信を持って、父との時間も、父亡き後の母との時間も、私の家族と一緒に皆で楽しめたかもしれません。
でも実際は、別居介護だったが故、一人で車で父母の家に通い、介護をし、夜遅くに私の家へ帰る。そんな生活が長く続きました。家では私の帰りを待っている子供たちと主人が居ました。だから私は帰宅した後も休めなかった。。毎日疲弊していた私は、実は居眠り運転もしてしまったことがあります。
よく介護疲れの方が、車で事故を起こしたニュースを見ますが、本当に私自身の紙一重の状態で、他人ごとではありませんでした。事故を起こさなかったのは、神様が守ってくれたのでは。。と思ったほどです。
後悔をしない「安心」を創るために
「お父さん、お母さん。みんなでこれからの生活について話してみませんか・・?」
もし、まだ親御さんとお話しできる時間が残されているのなら、勇気を出して、そう伝えてみても良いかもしれません。
お金の話は、決して気まずいものではないですよ。 家族が最後まで「愛」を循環させるための、大切な儀式です。
私のような「独りぼっちの決断」という後悔は、いつまでも心に影を落とします。本当はあぁしておいた方が良かったな。なんであの時、こうしなかったんだろう。。なんて。。父母が亡くなり数年経った今でも、ちょこっと振り返ってそんなことを思いますから。
父母の介護をしてあげながらも、自分にも家庭がある。。両方を守るためには、人生会議をして、誰も孤独を感じない、誰か一人が背負わない、家族皆が望む人生を過ごせる選択が必要なのだと思います。
人生会議は、医療に関する事ばかりではなく、年老いた父母と自分、そして家族の幸せな時間を守る大切な話し合いなのだと思います。もしあの時、私が居眠り運転で事故を起こしていたら。。それを思うと、一人介護の怖さも感じるのです。
家族はチーム。親が元気なうちに、お金の使い方も話し合っておかないと、介護が始まってからは身動きが取れなくなると痛切に思います。

